私にはひとつ、日課があった。
授業が終わって、クラブに入っていない人達はもう帰宅する頃、一人グラウンドの外れに座る。
どこかのクラブのマネージャーでもない私だけど、皆慣れてしまったのか、声をかけてくる人もいない。

近くをランニングしている陸上部が過ぎ去り、遠く硬式野球部のノックの音。
冬になれば水泳部もグラウンドを使うし、バスケ部だって勿論の事。

けれど私が見ているのは、そのどれとも違う。

目に写るのは、ただひたすらにボールを蹴り続けている、一人の少年の姿だった。










『求道者』
by KENSUKE










今日も来てる。いつものあの子だ。
ウォーミングアップをしながら、僕は気付いた。
何をするわけでもなく、ただグラウンドの隅っこでジッと座ってサッカー部の練習を見ている。

しかもどうやら僕を見ているらしい。

「また来てるな、熱心だねー」

向かい合ってボールを蹴り合っている相方がそう言う。
本当に熱心だと思う。そんなに好きなら、マネージャーでもなって入部すれば良いのに。
そう思ったのは僕だけではなく、今まで何人かがそう勧誘してきた。
その全てを彼女は断っている。
断り方がまたセンセーショナルだった。

「私、サッカーじゃなくて、彼を見ているんです」

だ、そうだ。
で、「彼」が僕だと。
おかげで先輩からはからかわれ続けた。
とは言え、それが一年以上になれば、皆慣れてしまって、当たり前の風景のひとつになってしまっている。
そんな事実はないのに、僕と彼女は公認のカップル状態だった。
否定しても、誰も信じてくれない。
まあ確かに、練習後は一緒に帰ってるし、朝の自主練にも顔を覗かせているのだから、付き合ってると思われても仕方ないだろう。
一緒に帰るのは、練習後の自主練を始めても彼女はそのまま座っていて、女の子の夜の一人歩きは物騒だからだし、朝にしたって、送っている最中に練習をしている事を言ったらヒョッコリ現れただけだ。

彼女が実際何を考えているのかなんて、僕には分からない事だった。







いつも通りの練習だけど、いつもと違う。
なぜなら試合が近いから。
来るべきインターハイに向けて、予選が各地を賑わせている。
細かいポジショニングの打ち合わせ、戦術の確認、そしてミニゲーム。
スポーツファンでもないのに、いつの間にか私はすごくサッカーに詳しくなっていた。
彼は、遂にレギュラーポジションを奪ったみたいだ。エースストライカーの人と一緒のチームに入っている。

取りたてて技術のある選手じゃない。
足がものすごく速いわけでもないし、背が頭ひとつ高いわけでもない。
173センチと言えば、私からすれば充分高いけれども。
不動のセンターバックの人は180センチ以上あるし、キーパーの人も同じ位ある。
180近い平均身長の中、彼は確かに小さかった。

バックスから長いパスが出る。
彼が走る。
ボールに追いつく少し前、彼は内側に視線を向ける。
トラップして、ディフェンスのチェックが入る前にゴール前にセンタリング。
鋭く右足が振りきられて、カーブがかかったボールはフォワードの人の目の前に。
そして、ゴール。

誰もが見惚れるようなパスをしたのに、彼はまだどこか不満そうだった。







「お疲れしたーーっ!」

練習が終わり、皆帰宅し始める。
人によっては筋トレをする為に、トレーニングルームに行ったりする。
僕は、グラウンドに残り、ボールの沢山入った籠を片手に再び練習を始めた。

高く高くボールを蹴り上げて、落下地点に向かって走る。
点々とするコーンは、シミュレートしやすくする為の道具だった。
試合は常に動いているから、思った通りのシーンなんてそうそう来ない。
それでも、僕の仕事はひとつだけだ。

正確なクロスを上げて、点を取らせる。

トップスピードに乗り、景色が霞む。
それでもコーンが霞む事はない。
ファーサイドに一人。ニアに二人。
ディフェンスは?
………ニアだ。
トラップする直前の瞬間の思考。それに従って、右足を振り抜く。
少し高めのボール、キーパーの頭上、ジャンプしても手の届かないギリギリの高さ。
カーブはかけていない、まっすぐに、ファーサイドのコーンを直撃する。

「………良し」

ひとつ頷き、コーンを立て直し、再び同じパターンを練習する。一籠分。
終わったら、また違うパターンが始まる。
僕がサッカーを始めてから、ずっと続けている練習だった。
フェイントひとつ、キックの種類ひとつを覚えるよりも、僕はキックの正確性を追いかけていた。
常に脇役である事への不満は、感じたりしない。
主役になりたいとも思わない。点を取りたいと思ったりしないし、芸術的なスルーパスに憧れたりもしない。

ただ僕は、クロスを上げ続けるだけ。
それだけで、良い。







「レギュラーに、なれたんだね」

「うん」

帰り道、私達は会話を交し合う。
周りからどう思われているのかは知っている。
それを否定するのは簡単だけど、何だか勿体無いような気がして、流されるまま。

「一回戦の相手は?」

「S高。去年のベスト4。まいったね」

そんな割に、会話には色気のかけらもなかったりする。
それが少しだけ不満。
しっとりした会話が似合う柄でもないし、元々彼にそれを求めているわけでもないけれど。

「そっかー、ちょっとキツイかもね。でも、頑張ってね」

私が彼に求めている物は……

「やれる事を、精一杯やるだけだよ」







快晴。雨の気配なんて感じない。
土のグラウンドは固いけど、足を取られるぬかるみに比べれば全然マシだ。
早朝の空気は冷たく、吐く息は少しだけ白い。もう夏前なのに。

さっきスターティングメンバーが発表された。
前々から言われていた通り、僕は右サイドに入った。
背番号は12。
その番号は、これまでの僕の努力の証、実力で奪い取った物、これから守り続けるべきプライドだった。
ユニフォームに袖を通すと、引き締まったような。そんな気がした。

いつもの練習と同じウォームアップ。
同じ場所へ、同じ強さで、正確に、正確に。
誰もが手を抜く所だけど、生真面目な性格ゆえか、とても手を抜くなんてできない。

「あれ、彼女、来てねーんじゃねえの?」

誰かが僕にそう言う。
ただボールに集中していた僕は、ようやくギャラリーを見渡した。

「ああ、そう言えばいないですね」

「冷たいね、喧嘩でもしたか?」

「いえ、別に」

そんな事実はないと否定しても、どうせ信じてくれない。
だから何も言わないのが正解なのだ。
先輩は肩をすくめている。
僕は再びボールに集中する。

試合開始の笛が鳴る頃には、彼女がどうして来ていないのかなんて事は、頭の中から消え去ってしまっていた。







寝坊した自分に、とんでもなく腹が立つ。
せっかくの試合なのに。
駅から走る。スカートではなく、ジーンズをはいていて本当に良かった。
高いヒールが嫌いな私で良かった。

試合開始の時間はとうに過ぎ去り、ハーフタイムも終わっているに違いない。
下手をすると試合自体が終わってしまっているかも。

そんな予感が頭をよぎって、ふと立ち止まる。
会場は目の前にある。
荒い息を抑えながら、ひとつ深呼吸をして、足を踏み入れた。

後半38分。
ロスタイムを入れたとしても、10分もない。

でも、何よりも私の目を引いたのが、スコアボード。

0対5。

目の前に立ちふさがる、厳し過ぎる現実だった。







カルチャーショックだった。
パスひとつ、トラップひとつ取っても、別次元にある。
運動量はこちらを遥かに上回り、キックは強く、正確だった。
ダッシュのスピードは陸上部かと思ってしまうほどで、パワーは圧倒されるばかり。
中盤は完全に支配され、前線にボールが回る事はない。
フォワードの人間すら、必死でディフェンスしている。

鮮やかなフェイント、虚をつくパス、統率された無駄のない動き。
こちらは防戦一方だった。
良く5点で済んでいるものだ。
それ以上の差を感じる。
手を伸ばしても、決して届かない高みに、彼らはいるのだろうか。

チラリと時計を見てみる。
もうロスタイム。主審が時計を確認していた。
チャンスは残り少ない。
せめて、一度だけでも。

その時、密集からのこぼれ球を、こちらの選手が取った。

来た!

僕は振り向き、ダッシュを始める。
さあ来い!
と、その時。

ピッ、ピッ、ピィィィーーーーーーー

長い主審の笛が、終わりを告げる。
すでにトップスピードに乗っていたけど、減速し、立ち止まる。

何もできないまま、夢は終わった。







ロスタイムは、僅か2分だった。
たった9分、けれどその短い時間で、私は格の違いを見せつけられていた。
きっと、試合開始から同じような感じだったに違いない。
こちらのチームは疲労困憊、相手チームはまだまだ動けそうな雰囲気だった。

最後の彼のダッシュ。

せめてあのワンプレーだけでも、見せて欲しかったけれど。
立ち尽くし、仕方ないさと首を振る彼を見ると、なぜだか涙が溢れてきた。

私に気付いた彼が駆け寄ってきても、涙は止まってくれなかった。

「……負けちゃったよ」

残念だったね。悔しいよね。

そんな言葉が、どうしても出てきてくれない。
「ふぇ〜〜ん」と情けない声を出して、顔を覆う事しかできなかった。
彼は困った顔をしていたみたいだけど、「よしよし」と私の頭を撫でてくれた。

「今日の試合は残念だったけど、また次があるさ」

そう言って、笑みを見せてくれる。
涙はまだ止まらない。それどころか、もっともっと溢れてきた。

汗で湿った彼の掌は、とても温かかった。







帰宅した。
今日は日曜、明日は月曜。また再び練習漬けの毎日が始まる。

僕はほんの少しだけ、涙を流した。







私にはひとつ、日課がある。
放課後、皆が帰宅し始める時間、グラウンドの外れに座って。
目に写るのは、一人の少年だった。
ひとつのスポーツの、たったひとつのプレーだけにひたすら打ち込んでいる男の子。

オシャレじゃないし、派手でもない。
目立つ所なんて全然ない。

それなのに、彼のそのひたむきさは私をとらえて離さない。
彼が何かを追いかけているように、私も何かをひたむきに追い求めたい。
そう思わせる何かが、彼にはあった。

だから、私は立ち上がる。
練習中だから悪いかな。そうも思ったけれど、彼に一声かける。

照れくさそうな彼に、笑顔で手を振り返して、私は歩き出した。







<了>



KENSUKEさんより、当サイトはじめてのオリジナルをいただきました。大感激。


こんなひたむきな時間を、誰もが持っていたはず。

でも、時とともにどこかへ置き忘れてしまう・・・純粋な、壊れやすい何か。

KENSUKEさんの筆は、そんな大切な何かをそっと指し示してくれます。

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