はるか昔。不思議な力をあやつる一族があった。もともとは西アジアの奥深くに暮らしていたともいわれているが、今となっては真実を知る者など一人もいない。


 時の流れとともに、かの一族は西アジアの砂の海から東を目指して移動を始める。日の昇る方角を目指して旅立ったのだ。ゆっくりと幾世代もかけて草原を越え、絹の路をさかのぼり、タクラマカン砂漠を渡ってやがて敦煌に至る。敦煌まで来れば、絹の国の都・西安はもう目の前だ。
 しかし、彼等はそこで満足することはなかった。彼等のその力をもってすれば、東の中心と呼ばれた西安を支配することすらたやすいことであっただろう。だが、同じように長い時間をかけて彼等はそこをも通過した。
 二つの大河を越え、朝鮮半島までやってきた彼等の前に、今まで見たことのない光景が広がっていた。


 海であった。長い長い時間と幾世代もの命を費やして、彼等は遂に海を目前としたのである。しかし。
 彼等がはるばる目指して来たこの海で、まさに闘いが始まろうとしていたのだ。


 闘いの、閧(とき)の声が彼等のすぐそばまで近づいてきた時、彼等は決断を迫られた。
 このまま闘いに巻き込まれれば、ここまでやってきた彼等一族は全滅することとなるだろう。全滅か、闘いか――答えは決まっているようなものだが、彼等にとっては重大なことだった。
 話し合いの末、彼等は彼等の『神』に問うことにした。

『我等はこの地にて滅ぶべきか否か? 我等が神よ、その意を示し給え』

 彼等は神問いの儀式『餓沙羅の神事』を行い、その結果に自らの運命を託すことにしたのだ。
 ――結果。
「我等が神は、闘いを御望みのようだ」
 これで決まった。彼等は、禁断とされてきた『闘い』へ踏み込んで行くこととなり、ここに彼等の血塗られた運命が始まったのだった。


 その闘いは激しかった。海を血に染めて二つの国は相争い、数知れぬ屍が波間に消えていった。しかし、その屍のほとんどは彼等によって命を奪われたものである。愚かな国同士の争いを嘲笑うかのように、彼等の『力』はその軍勢のどちらもをことごとく粉砕してのけたのだ。


 その彼等の『力』の最たるもの、骨嵬(くがい)。それは古の神の姿を写したものだとも、神の欠片を人間に似せた形にしたのだとも言う。骨嵬は『嵬(カイ)』と呼ばれる選ばれた人間だけが操ることができ、その『力』は血筋によって受け継がれるとされていた。
 この時のいくさは歴史にも残っているが、後世には歪んだ形で伝わっている。世にいう『白村江の戦』である。日本と朝鮮国の間に勃発した戦争で、双方の軍勢が朝鮮・白村江にて激突した闘い……ということになっているが、その実、彼等のもたらした二体の骨嵬によって双方ともが壊滅させられたのだ。


 このいくさの生き残り達は、自分達の見た光景を信じることができずに沈黙を余儀なくされる。何処かから現われた一対の『鬼』が、敵味方の区別なく軍勢を蹴散らしていった様は、とうていこの世のこととも思われなかったに違いない。
 かくして、餓沙羅鬼(ガサラキ)=骨嵬の存在は歴史の闇に消えた。彼等が海を渡ったのは確からしいのだが、その後の彼等の足取りは、杳として知れない。





『傀儡の民の物語』

〜遥かなる西の果てより、あるいは、ある恋人たちの神話〜

第一巻 『嵬の伝承』






 奥州・三春。北のこの地は春が遅く、梅・桃・桜が一度に花開く。それが『三春』の名の由来である。この地の名は、この物語のはるか後にここで栄えた三春氏より出た伊達政宗の正妻・三春の方によって世に知られることになるのだが、この時代にはまだその祖すら現われてはいない。その代わり、今は失われた一族が住まっていたという。彼等は、自らをこう称していた。
 ――餓沙羅(がさら)の民、と。


 餓沙羅の民は、傀儡(くぐつ)の民であった。彼等の一族は不思議な『力』を持っており、その力のゆえに追われ、次第に山奥へと逃れて隠れ住むようになったのだという。時々の権力者は彼等の存在を疎ましく思いながらもその『力』を求め、それゆえに彼等は闇の世界に君臨していくこととなる。


『傀儡使い』。彼等のもう一つの呼び名である。それは、恐怖と血をまき散らし、絶対の沈黙をもたらす存在として、闇の世界の住民達からさえも忌み嫌われる『名』であった。
 彼等の『後楯』の名を口にするものはいない。それを口に出したが最期、その命がなくなることを闇の住民達はよく承知しているからだ。聞きつけた彼等やその『後楯』の手の者に執拗に付け狙われ、やがては行き場を失って死に至る。たとえ付け狙われているのが自分の親兄弟であったとしても、彼を助けようとする者はいない――そんなことをすればその愚か者の累が自分にも及ぶ。つまり、彼を助けた者も同じ愚か者として、彼等『傀儡使い』を始めとする殺し屋に付け狙われ、同じように命を奪われることになるのだった。


 そう、彼等の『後楯』はそれほどの権力をその手に握っている。それは『天皇』。
『すめらみこと』と奉られ、この日の本の国において最も高貴な血を持つとされる至高の存在。しかし『すめら』の一族が何処からやってきて、この国の民を何処へ連れて行こうとしているのか、誰も知らない。


 彼等は『すめら』の意を受けて闇に隠れ、陰謀や暗殺などのいわゆる汚れ仕事を請け負って生きるようになっていた。その見返りとして、餓沙羅の民たちはあらゆる税を免除され、その村は『天皇』の直轄地=天領として完全な自治権を与えられていた。
 彼等は『すめら』ただ一人の命に従えばよく、宮廷が寄こした官僚など天から無視できるだけの権限を持っていた。


 だが、そんな生き方を選んだ彼等の中にも次第に鬱屈したものが溜まっていく。その頃の彼等は『餓沙羅の民』という名の代わりに彼等自身の先祖の一人の名から取って『豪和(ごうわ)氏』と名乗るようになっていた。それは遥か昔、一族を導いて西アジアの砂の海を越えた伝説の族長『ゴワン』に因んだものだった。
 砂漠を越え、草原を越え、海を越えて得たものがこんな逼塞した暮らしなのかと自嘲したのかも知れない。

 
 逼塞した暮らしは彼等を蝕み、不満は出口を求めて頂点へ達しようとしていた。

「われらは現世最強の『傀儡使い』……その気になればこの国を支配することも可能」

 そんな急進派、不満分子、顧みられぬものたち――その憤りを押さえることに失敗した一族の長は反乱者に殺される。反乱者の頭目が新たな長となり、餓沙羅の民=豪和氏は京へ昇ることを決めた。

「――『すめら』さえわれらを恐れているのだ。何を恐れることがあろう」

 新たな長となった反乱者の頭目は、強引なまでの統率力で一族をまとめあげ、三春の里を出た。三春の里には動けぬ老人と、この地に祀られた『神』を護る少数のものたちが残った。

「三春の姫よ、われらが『神』を護り、また『嵬』の血筋を絶やさぬようにせよ」

『三春の姫』とは、彼等餓沙羅の民の『神』を祀る巫女の尊称である。この役目につくのは未婚の娘、それも『骨嵬』を操ることができる『嵬』の力をもつ娘に限られる。彼女は、一族の存亡に関わる事態の際にはその身を賭して、神問いの儀式『餓沙羅の神事』を行うという重要な役割を持っている。
 そして、豪和の一族の中に新たな『嵬』の娘が現れるとその職を辞し、子を生むために男を迎える。
『三春の姫』であった娘は『嵬』の力を持つ子を生むまで、好む好まざるに関わらず定まった夫を持つことは許されない。彼女が『嵬』の力を持つ以上、その力の後継者を生み出すことが至上の命題であるからだ。
 毎晩のように一族の男たちを迎え入れ、その苦行は彼女が『嵬』の力を持つ子を生むまで続く。大きな力を持つ『嵬』である『三春の姫』、その子供には必ず一人以上『嵬』の力を受け継ぐ子が現れる。新たなる『嵬』を生んで始めて『三春の姫』の役割は終わるのだ。
 もちろん『三春の姫』以外の一族の中からも『嵬』の力を持つものは生まれる。その確率は決して小さくはないが、『三春の姫』の子ほど確かに生まれるものでもない。
 しかし、『嵬』と『嵬』が結ばれることは許されない禁忌とされていた。
『嵬』である母親(つまり『三春の姫』)の子供には必ず『嵬』の力を受け継ぐ子が現れるが、『嵬』の力を持つ父親の子供はそうとは限らない。そして『嵬』と『嵬』が結ばれた場合、その間に生まれた全ての子が『嵬』の力を持って生まれて来ると言う。

 ――人々は『嵬』が増え過ぎることを恐れたのだ。

『嵬』の力は、骨嵬を操るだけに留まらない。あるものは未来を読み、あるものはまた千里の先を見る。またあるものは他人の心を自由に見抜き、手を使わずとも人を殺せるものもいた。
 しかし、その『嵬』の力は、同じ一族からも忌み嫌われる類いのものであった。しょせん、彼等も人間である。自分にない力を持つものを憎み、さしたる理由なく疎むのは人間の業のようなものだ。彼等一族は『嵬』の力なくしては自分達の身を護ることもおぼつかず、また『嵬』の力のゆえに『すめら』の権力を恐れずにいられるのだが。
 いなければこまる、だが増え過ぎてはならない。一時代に2〜3人、それがちょうど良い『嵬』の数。
『嵬』であることは名誉なことであったが、それは同時にいわれなく疎まれること、汚れ仕事に否応なく手を染めねばならないということ。彼等は決して幸せにはなれない。
 疎まれ、恐れられ、一族のためにその力を振るいながらも幸せになることを許されない『嵬』たちは、酷使され、やがて力を使い果たしてぼろ布のようになって死んでいくのが常であった。


 時代は、名ばかりの『平安』にうつろうとしていた――。






巻1『嵬の伝承』・完











この作品を投稿した『遥かなる西の果てで』が仮移転中につき、暫定的にこちらでもアップしました。



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