〜Orientation 『The Messiar's Regalia』
「――これで全員だな」
「始めてよろしいですか?」
「始めたまえ」
NEO−NERV内、暗い会議室に集まったのはいずれもNEO−NERVの中枢に近い幹部たちである。
ひとりだけ、場違いに若い顔が見受けられた。繊細な目鼻立ちの、能面のように無表情な顔をした少年――しかし、暗い空間の中でその瞳だけがぼうっと無気味な蒼い光を宿している。
連日の苛酷な任務のためか、表情に疲れをにじませた日向が、壁に埋め込まれたディスプレイをレーザーポインターで指し示した。
「今日集まっていただいたのは、他でもありません。『敵』が動き出しました」
無音のざわめきが会議室に満ちた。しかし、蒼い光を瞳に宿した少年は微動だにしない。
最高責任者であり、またNEO−NERV総司令である冬月は、いたましげな眼差しを少年に向ける。
『彼を巻き込むのはやはり間違いだった……大人のエゴで、またしても子供達を犠牲にしようとしているのか、我々は……。ユイくん、力なき我々を嘲ってくれ……君の理想は、まだ人類には高尚すぎる……』
蒼い光を瞳に宿した少年は、冬月の親友と愛弟子の間に生まれたひとり息子だった。ジャジメント・デイへの恐るべき道程において、少年が被った心の傷はいかばかりだったであろうか。
『許せ、とは言わんよ、私は――どのみち、許しを乞う資格すらないのだから。神よ……願わくば、我が背に罪のすべてを負わせたまえ……』
だがしかし、この場に加わりたいと願ったのは少年の方であった。そして、その父親譲りの強情さとかたい決意を見て取った冬月自身が、彼の参加を認めたのである。
ジャジメント・デイ以前の少年をよく知る冬月は、優柔不断で線が細いと思われていた少年の思わぬ頑固さを目の当たりにした。彼をよく知る周囲の全員が彼に忠告し、止めたにもかかわらず、彼の決意は変わらなかったのだった。
『14才の福音<EVA>』
EVA 14teen
〜The Judgement Day〜
EPISODE #2
『……Ladiant Seraph……』
冬月はつぶやいた。視線の先には、瞳を蒼く輝かせた少年の姿がある。
「……我々の敵のトップに立つもののコードネームが判りました。
『救世主(メサイア)』
……そう呼ばれているようです」
日向の声が、重苦しい空気をさらに重いものにした。
「とにかく、このトップへの個人的崇拝を核に、古代の宗教団体なみの団結力で結束してますね……何が困るって、狂信的熱狂よりタチの悪いシロモノはないですよ。つぶしてもつぶしても、もぐら叩きみたいなもんですからね……生命を捨てることさえ、何とも思っちゃいない」
いささか不謹慎な見解を口にして、日向は嘆息した。不謹慎ではあるが、聞いた者は一様にその見解の指し示す事実に思いいたって暗胆たる思いにとらわれた。
長い人間の歴史の中で、おそらく宗教戦争ほど熾烈かつ根が深く、陰惨で無意味な争いはないであろう。互いの信じる宗教を認めあうことができないばかりに、どれほどの血が流されたことか――。
そして、個人を崇拝する時、その団結力は信じられないほどの強固さになる。しかも、現在の不安定な情勢は、そういうカリスマへの傾倒をいとも簡単に狂信の域にまで高めてしまうのだ。
世界を裏側からあやつっていたSEELEも、そういう集団の一つだった。ただ、SEELEを結束させていたのは個人崇拝ではなく、もっと初源的な欲求=不老不死、であった。
合法非合法の手段を選ばずに築いた莫大な富を背景に、SEELEは各国の中枢に食い込んだ。富というものは、その出所をとわず様々な分野からあらゆる人間を引き寄せる。表、裏、あるいはその中間のグレーゾーン――招いたもの、招かれざるもの、さらに人を引き寄せるためのコネクションさえ。
おそらく食い込まれた側は全くそれとは気付かぬまま、SEELEの思惑通りに操られていたのであろう。幾重にも張られた目くらましのカーテンの向うから、誰にも気付かれぬようにSEELEは動いていたのだから。
もちろん、富の力は沈黙を買うことすらできる。コネクションのすべてに沈黙をしいても、SEELEはいささかの痛痒も感じなかっただろう。
とにかく。
彼等NEO−NERVの前身・特務機関NERVさえ、SEELEの歪んだ目的を叶えるべく仕組まれた組織だった。表では『正体不明の敵・使徒を迎撃殲滅し、世界をサードインパクトから救う』という大義名分をふりかざし、裏では『人類補完計画』という悪夢のシナリオを推し進めていたのだ。
『人類補完計画』――言葉だけを取り上げれば、セカンドインパクトで滅亡寸前になってしまった人類が生き残るために練られた計画のように見える。しかし。
実際には、SEELEの歪んだ欲望を実現するために周到に準備された代物であった。
いつ、SEELEがこの『人類補完計画』を立ち上げたのかは定かではない。ひとつだけ確かなのは、この『人類補完計画』を立ち上げるために欠かせないものがあったということだ。
それが『死海文書』――出所さえ明らかでない謎の文書である。かつてイスラエルの塩湖・死海のほとりで発見された古文書(聖書の原形ともいわれる)と同一物かどうかは不明だが、SEELEは『死海文書』を手中におさめたことによって自分達の欲望が実現可能であるという確信を得たと思われる。
そして、福音<EVANGELION>という名を持つ「もの」が、運命の担い手となった……。
冬月は、意識を会議の内容へ引き戻した。このごろ、自分の『老い』を感じることが頻繁にある。死を恐れる訳ではない――ジャジメント・デイをくぐり抜けてこの現世に舞い戻った時、自分のやらねばならない最期の仕事と見定めて、NEO−NERVの総司令という重荷を背負ったのだから。
そして、NEO−NERVの総司令と同じほどの重荷を背負った者がもうひとり。
もっともつらい役目を自ら望んだ少年。その手を他人の血で汚さざるを得ない役目に、人を傷つけることを何より嫌い恐れる彼が志願したのだ。
『父と母は、決して許されないことをしたんです……たとえ僕自身があのふたりを許しても、この災厄に何も知らずに巻き込まれた人々は決して許してはくれないでしょうね……』
その時の少年の言葉は、冬月にとって誰から批難されるよりもつらいものであった。
『でも、僕は両親のしたことの罪滅ぼしのためにこの役目に志願した訳じゃありません。僕が闘うのは、綾波のため、ただそれだけです。僕のために、彼女は自分の全存在をかけてくれました……LILITHの内部で覚醒したASHTAROTH<女神>に取り込まれて消滅してしまう間際の彼女の叫びを、僕は決して忘れないでしょう』
冬月の良心を疼かせるもうひとつの存在、それが綾波レイという少女だった。
綾波レイは、まだ実験段階だったEVA初号機に取り込まれて消滅した少年の母親=碇ユイの遺伝子とLILITHと呼ばれる存在から生み出された人工生命体である。人のかたちをしていながら、人ならざる『もの』であるという重い宿命を背負っていた。
許されざる歪んだ生命、それもただ『碇ユイの依代となるもの』として使い捨てられるためだけに生まれた綾波レイ――しかし少年は、少女を『人』として見つめ、心を寄せたのだ。
少年との触れあいの過程で、綾波レイは『人のこころ』を手にしていった。図らずも少年は、彼女を『碇ユイの依代』として使い物にならない存在にしてしまったのだ。
いつか来る『復活の日』、碇ユイの魂を呼び戻すための器にすぎないとされていた少女には『人のこころ』など必要ではない。碇ゲンドウの目論見では、少女に宿る未分化な魂は呼び戻された碇ユイの一部となり、ユイの魂を補完するはずだった。
しかし、少女・綾波レイは『綾波レイとしての自我』を備えるにいたってしまった。言われるままに手を引かれて歩くことをやめ、自分で自分の手を引いてくれる人物を選び、自らの足で歩き始めてしまったのだ。
そうなってしまった綾波レイは、もう碇ユイの『魂の器』にはなれない。ひとつの身体にはひとつの魂、それが神の摂理。
少女の肉体の中で『綾波レイ』という人格と自我が確立されてしまっていては、肉体を失って不確かな存在となっている『碇ユイ』の魂を宿らせようとしても、はじき出されるのはおそらく『碇ユイ』の方であった。
肉体は、より自らに馴染む魂の器になろうとするからだ。
『綾波レイ』として呼吸し、見つめ、触れあい、人のこころとぬくもりを知ってきた肉体。その肉体の記憶は『綾波レイ』と密接に結びついている。そこへ無理やり別の魂を押し込んでも、結局は借り物の服になってしまうのだ。
審判のその日、少年は『自らの母親(EVA)』よりも『女神(ASHTAROTH)』に封じられていた『少女(LILITH)』を選んだのだった・・・。