400 BadRequest
ERROR LOG 【400】 : 1st.Dividing

Area.2nd


 何処を見ているのか分らなかった。頭の中は真っ白だった。

 「いか…り…クぅン……」

 僕はその声を無視した。無視しないと僕はこのまま壊れてしまいそうで、 何を失うより辛い、どんな痛みよりも耐え難い、彼女のその細い呻き声を無視した。 背中に爪を立てる彼女に、このまま全てあからさまな心の中まで抉られそうで、 僕は怖れのままに彼女を引き寄せた。

 「…痛い…」

 彼女は泣いた。

 窓の外には真っ青な月の灯りが僕達を見下ろしていた。 僕達を舞台の上でピアノ線を繰られる傀儡だと言っているらしかった。 それは白いシーツを、ぶちまけた蒼く溶ろける光線でしっとりと濡らした。

 彼女は力なく僕の後髪を引き張って、肩の骨のあたりに歯を立てる。 僕にはそれが痛く感じなかった。彼女の痛みを僕が少しでもわけて貰えたようで 痛さも嬉しさに変わるのだった。高慢で、偽善で、思い込みかもしれない僕は彼女の痛みを 知っている、つもりでいたのだから。

 「ごめん…もう、やめようか…」

 彼女は首を細かに動かした。左右に振ったように見えて、僕は月の光に目を閉じた。 太陽が瞼を浸食して黄色い光を見せるのと同じように、月は僕の目を突き刺して 白い視界を僕に寄越した。

 「……やめないで」

 彼女は蚊の泣くように耳元に囁く。

 その背スジを優しくなぞってみせると、彼女は小さく息を洩らして、あとはただ 月灯りに躯をまるめるばかりで僕は、彼女の今晩の月光に良く似た色あいの髪を 出来るだけ、出来るだけ優しく、われやすいガラスに触れるように梳かしていた。

 彼女は安心した自分を僕に知らせるかのよう、僕の背中の爪痕を指先でそっと触れた。

 僕はどうしてもその指先を暖かいと感じとることが出来ない。彼女は言った。

 「碇君のカラダ、こんなに暖かいのね」

 そして僕は途方に暮れる。


 僕は見てしまった。

 円環に紡がれて輪廻の停止を定めたかのような、不愉快な色と容の水槽に泳ぐ彼女。

 綾波レイ。

 上目遣いに見たのは狂気に縛られた、狂気が縛った瞳で憎しみを彼女達にこめる女と、 親友に真っ黒な鉄の筒を突き付けて冷たく囁く女と、そして無数の微笑だった。 女達が一様に冷笑で語る倒錯的な様は、僕に何かがひび割れてゆくのを教えた。


 「綾波…」

 僕は呼吸の音で彼女が起きているのだろうと推し量って、名前を呼んだ。 すると彼女は、返事の代わりに、シーツの上で身を捩って僕の指に彼女自身の指先を絡めた。

 彼女に初めて出逢ったのは、それほどに昔のことでもなかった。 彼女は自分を三人目だ、と言った。僕もそれを聞かされて、知っていた。 つまり彼女に初めて出逢ったのは、ほんの五日前なのだった。

 「…綾波の躯、冷たいね…」

 彼女は僕の胸元に顔を埋めた。その目は、見えなかった。

 僕は一番傷つく言葉を投げたのだった。あるいは僕は知っていたかもしれない、 その言葉の残酷な包含を。僕は彼女の頭を強く身体に引き寄せて抱きしめた。 彼女は、とうとう嗚咽を抑えることが出来ないようだった。

 最低だ、僕って。

 きっと言葉は自虐だったのだろう。今まで僕が誰につけてきた傷よりも、 その行為で結果的に自分の芯に切り刻みつけた刻印よりも、それは遥かにわかりやすく 強烈で身勝手な虐待であった。

 「もう、行かなきゃ…」

 僕は傾き始めた蜜月を振り払うように、月灯りに浮かび上がるシルエットを 両手で押しとどめて、そして引き離した。

 彼女の顔は涙で濡れていた。綺麗な造形が、ぐしゃぐしゃになっているさまも、 それは青い光の上で蟲惑的な彩りを纏っていたのだった。 僕は綾波が涙を流すのを初めて見た筈なのに、感情は揺れ動かなかった。

 僕は生き物のように生々しく身体に絡みついた青く染まったシーツを ゆっくり引き剥がしながら、彼女の横顔を一瞥した。彼女の濡れそぼった頬が月の逆光に 照り返されてきらきらと瞬いても、もう新しい涙を零すことはしていないようだった。

 「待って…」

 綾波はシーツを躯に纏って、冷たい床を伝って歩み寄った。

 「…もう少しだけ」

 必要としているのは僕でなく、僕の体温だということはわかっている気がした。 僕は手首を力とも思えない力で掴む彼女の手のひらの震えに足が止まってしまった。 何をしても帰ると思い立っていた意思は彼女の怯えに消された。

 「紅茶、入れてあげるよ…」

 僕は彼女の目に弱々しく口付けをして、部屋のキッチンに足を向けた。 彼女は僕に背を向けたまま、蒼く瞬く月を眺めている。 彼女の縁が曖昧にぼやけてみえた。強すぎる光芒の所為だろう、と僕は紅茶の缶から、 前に僕が彼女に入れてからいくらかも減っていない葉をすくいながら、 幻想的な空虚を傍観していた。

 彼女はまた泣いているのだろうか。僕は思った。

 雲のない夜に月灯りが色濃くあるさまが、僕に背を向ける彼女の心そのものなのだろうか、 と、僕はまた勝手な想像に耽るのだった。

 湯気が僕の目を刺激して、僕の目から涙を落す。

 「綾波…」

 振り向いた彼女は、頬に涙の痕を残したきり、泣いてはいなかった。 僕は右手のカップを渡す。僕達はいつもそうであるかのように、 二人寄り添ってベッドに腰を下ろす。

 「キレイな色」

 彼女は言った。

 「紅茶入れるの、上手ね…」

 僕は彼女の湯気にぼける輪郭を瞥見して、呟く。

 「…ああ、君と、数え切れないくらい、一緒に、飲んだんだよ…」

 彼女は何も答えずに紅茶を一口含んだ。僕が湯気を顔に近づけると、 紅茶独特の甘く柔らかな香りがして、噎せ返りそうだった。

 僕は何か彼女の反応を待ったのかもしれない。下卑たその感情を上塗って蓋い隠すように 僕は紅茶をゆっくり舐めるようにほんの数滴口の中に落としてみる。 両目を僅かに堅く閉じあわせたあと、僕は膝で左手を支えて湯気を弄んでいた。

 「碇君…私は、あなたともっと同じ夜を過ごしたい」

 彼女のカップも僅かに減っているばかりであった。 僕も彼女も、背中に月光をうけながら、紅茶を悪戯に冷ます時間を得るのだった。

 「私は…私よりも…ずっと」

 僕の胸は針で穴を通すように痛んだ。彼女の答えは、それはまさに期待通りだったけれども、 それは激しく僕の痛みを感じる部分を撃ち抜く言葉の塊だった。 きっとこのまま放っておけば、いづれ僕は僕を撃ち殺すときが来るかも知れない。

 「僕は君を一人になんてしない」

 彼女と僕のグラスが冷たい床に触れて、細かい欠片になって、 暖かい湯気を上げていた液体は一瞬で冷えて薄く、広がった。 彼女の腕は僕を結び付けて放さなかった。

 僕は裸足に感じるひときわ冷たい感触とともに、シーツ越しの熱の塊を 感じながら彼女の額に髪越しに、口付けした。彼女は一言、一人は嫌、と言ったきり 動かなかった。

 窓の外の月を見る。

 蒼い光の源を見る。

 部屋を濡らす蒼光。

 彼女は泣いているようだった。


 何度となく身体を重ねるのは、寂しいから。それから、身体中が寒いから。 彼女が僕が求めるたびに、ただ幼い戯れを繰り返すのは、それ以外に 何も思いつかなかったから。

 刹那的な快楽で痛感を先送りにするのは子供の証明だろうか。

 それとも、人間の証明なのだろうか。

 子供じみた行為に、血液はない。僕達は忘れてしまったのだろうか、 人間の本質を。僕達はもう、それを選べないのかもしれない。 痛みが快楽へ移行することのないこの現実を、この期に及んで否定しようとは思わない、 そういうことだろうか。

 暖めあって、慰めあって、ただ終わりを待つ。

 人間らしいといえるのか。

 人間らしさ、求めても、良いのだろうか。彼女は僕に一度だけそれを訊いた。 僕は何も答えられなかった。僕に答えられるほど、簡単な謎掛ではなかったのだった。

 安らかな寝息を聴きながら、僕は泣いた。











「まるちぷる2番街」のArea.2ndさんからいただいたお話です。

月の見つめる子供たちの背中は、痛々しくも無惨な傷痕――声にならない問いかけと、言葉にならない答え。

ひりひりするようなこの感覚は、きっと蒼すぎる月光のせい。


全五話の連載になるとのことです。
彼等の涙の行方を見つめていきたいと思います。



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